「食料品の消費税が0%になる」。
庶民にとっては、正直かなりうれしい響きです。
物価高が続くなか、毎日の買い物が軽くなるなら歓迎したい。
けれど政策は、必ず“どこかに影”をつくります。
今回の焦点は、外食産業です。
「外食は10%のまま、食料品とテイクアウトは0%」という構造が現実になったとき、何が起きるのか。
数字と現場目線の両方から、少し角度をつけて見ていきます。
「うれしい!」の裏で何が起きる?消費税0%の基本構造
現在の制度では、店内飲食は10%、テイクアウトは軽減税率で8%です。
差は2%。
ところが食料品が0%になると、外食10%とテイクアウト0%という構図になります。
差は一気に10%へ拡大します。
この“2%から10%へ”の変化は、単なる数字以上の意味を持ちます。
人は「増税」よりも「ゼロ」という言葉に強く反応する傾向があります。
価格の絶対額より、ラベルのインパクトに動かされる。
いわば心理戦です。
政策としては家計支援でも、業界別で見るとバランスが崩れる。
この非対称構造こそが、議論の核心です。
外食10% vs テイクアウト0%の“価格差ショック”
たとえば税込1,100円のランチ。
本体価格1,000円+消費税10%です。
同じ内容をテイクアウトすれば、消費税は0%。
支払額は1,000円。
差は100円。
割合にすれば約9%。
「たった100円」と思うかもしれませんが、毎日のランチとなれば月2,000円前後の差になります。
心理的ハードルは想像以上に高い。
とくに価格感度の高い層は、即座に行動を変えます。
スーパーの総菜、コンビニ弁当、冷凍食品。
実際、中食市場はここ数年拡大傾向にあります。
共働き世帯の増加と高齢化が背景です。
“外食の体験価値”が勝つか、“価格差10%”が勝つか。
これは飲食店にとって、静かな分水嶺になります。
ランチ難民が増える?外食需要の静かな縮小
外食産業は固定費型ビジネスです。
家賃、人件費、水道光熱費。
売上が5%落ちても、利益は一気に吹き飛びます。
営業利益率が数%の店も珍しくありません。
コロナ禍で一度落ち込んだ客足は回復傾向にあるものの、完全復活とは言い切れません。
そこへ“税率差10%”が加わる。
ランチ客が減り、回転率が落ちる。
ディナーは維持できても、昼の赤字が積み上がる。
体験型ビジネスは強いと言われますが、価格差が明確になると話は別です。
「今日は持ち帰りでいいか」という選択が積み重なるのです。
現場がパニック?10%と0%の二重税率問題
店内は10%、テイクアウトは0%。
レジでは常に判断が必要になります。
ボタンの押し間違い。
返金処理。
説明トラブル。
スタッフ教育の負担は確実に増えます。
とくにアルバイト比率の高い店舗では、オペレーションの複雑化は死活問題です。
インボイス制度との絡みも無視できません。
税率区分が増えるほど、会計処理は煩雑になります。
税制は紙の上では整然としていますが、現場では「人」が動かしています。
一番疲れるのは、たぶん店員さんです。
最大の分岐点「非課税」か「ゼロ税率」か
ここが最大の論点です。
制度が「非課税」か「ゼロ税率」かで、影響は真逆になります。
非課税方式の場合に起きる“損税”問題
売上は0%。
しかし仕入れ時には10%を支払う。
しかも仕入税額控除が使えない。
つまり、払った消費税を取り戻せません。
結果として、飲食店が“損税”を抱える構造になります。
利益がさらに圧迫されます。
ゼロ税率方式なら安心なのか
ゼロ税率であれば仕入税額控除は可能です。
理論上は大きな問題はありません。
しかし理論と現実は別です。
仕入業者が価格を下げなければ、恩恵は限定的です。
制度設計ひとつで明暗が分かれる理由
税率0%という言葉は同じでも、設計次第で影響は激変します。
政治の判断が、現場の命運を握る形です。
仕入業者が“値下げしない”問題
食料品が0%になっても、卸価格が自動的に下がるわけではありません。
義務はないからです。
価格据え置き。
内容量を減らす。
いわゆるステルス値上げ。
交渉力の弱い個人店ほど、条件は不利になります。
チェーン店は大量発注で対抗できますが、町の店は厳しい。
外食需要が減り、仕入れは下がらない。
二重苦です。
外食文化は守れるのか?2年間で何が変わる
2年間という期限付きでも、影響は短期で終わるとは限りません。
一度離れた客は、戻らないこともあります。
倒産件数が増えれば、地域のにぎわいは薄れます。
個人店が減り、画一的な街並みになる可能性もあります。
もちろん、消費者支援は重要です。
しかし産業構造への波及も同時に考えなければなりません。
外食は単なる“食事”ではなく、体験と雇用と文化の集合体です。
税率差10%は、その基盤を静かに揺さぶります。
食料品消費税0%。
うれしい政策です。
けれど、その裏で誰が泣くのか。
一度立ち止まって考える価値は、十分にあるのではないでしょうか。

